柏レイソル
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柏レイソル(かしわレイソル、英: Kashiwa Reysol)は、日本の千葉県柏市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
注釈
- ^ 1970年シーズンまでは日立製作所本社サッカー部の名称で競技に参加。1971年シーズンから日立製作所サッカー部と改めた。
- ^ 1stステージは横浜FM、2ndステージは鹿島で、年間優勝はチャンピオンシップ勝者の鹿島。
- ^ この年は、翌シーズンからのJ1リーグの所属クラブを16から18に拡大するのに伴い、J2リーグへの自動降格は無く、J1リーグ最下位(16位)の柏とJ2リーグ3位の福岡が入れ替え戦を行った。
- ^ なお、両クラブはそれぞれ前身(JSL)時代に、柏は日立製作所として甲府は甲府サッカークラブとして、入れ替え戦を戦ったことがあり、その際は日立が2戦2勝だった。
- ^ 同シーズンは過去に柏在籍経験があるMF茂原岳人も再加入したが、神戸在籍時(当時未成年)の不祥事により逮捕され、2008年5月16日付で解雇。
- ^ 2006年に特別指定選手として在籍。
- ^ 現J1相当のみの時代の2部組織であるジャパンフットボールリーグからの昇格組も1年目での優勝を果たしたチームはなく、これまでJ1昇格1年目での最高順位は2010年のC大阪の3位であった。
- ^ 前身の日立製作所サッカー部時代には1972年の日本サッカーリーグで優勝しており、トップリーグ優勝は39年ぶりであった。またオリジナル10以外のチームが優勝するのは磐田に続き2チーム目。
- ^ 翌2012年に広島、2013年にG大阪、2017年に川崎が達成し、現在は柏と広島とG大阪と川崎の4クラブのみ。
- ^ 東京V、鹿島、横浜FM、磐田、浦和、G大阪に次ぐ。
- ^ 2017年は33失点だったものの、後半30分から試合終了までの失点数がその前の15分間と同様9である。
- ^ クラブから最優秀選手賞に輝いたのは2011年のドミンゲス以来2人目である。
- ^ 2010年11月には「日立柏サッカー場のアウェー席を増築し、消防法の収容人員が18,000人に拡張される」と報じられたが[22]、クラブから正式な改修の発表はこの当時はなされていなかった。
- ^ a b ACL東地区プレーオフを敗退した場合はJリーグ杯に出場し、同大会3試合を主催予定だった。
- ^ a b POを勝利したためグループステージ3を追加。決勝トーナメント進出時はさらに追加有り。
- ^ 本来ならば4チームによる2回戦総当たりで行われるため、三協Fで5試合が行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴うレギュレーション変更に伴い第4節 - 第6節が中止となったため、2試合のみとなった。
- ^ 「Inspire the Next」は日立グループのコーポレート・ステートメント、「LUMADA」は日立の先進的なデジタル技術を活用したソリューション/サービス/テクノロジーの総称である[26]。
- ^ Jリーグは2016年より背中下部へのスポンサー広告が解禁[28] となったが、柏はそれ以前の2014年より支援ロゴを掲載している。2016年以前に下部にロゴを提出していた例としてFC東京とガンバ大阪がある。(FC東京の場合は2009年から下部にスポンサーのロゴ(LIFEVAL(2009年)、TEPCO(2010年-2011年4月)、Mitsubishi Corporation(2012年以降))を提出している。その代わり上部にはスポンサーではなくほかのチームでは下部に入る選手名を表記。2016年の解禁後も上部には選手名を表記、下部にスポンサーを掲出の形を継続していたが2017年よりMitsubishi Corporationが上部に移動した。G大阪は1992年から1996年の間、背中スポンサーであった松下電器産業(表記:「National/Panasonic」または「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd. 」)を下部に入れていた。1997年以降は上部に移動している。背中下部スポンサーが解禁された2016年はスポンサーを掲出しなかったが2017年からはSHIP HEALTHCAREがスポンサーとして掲出している。)
- ^ J3を含めるとAC長野パルセイロ・藤枝MYFCもチケットぴあでの販売はしていない。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “クラブガイド:柏レイソル”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年4月18日閲覧。
- ^ “2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年8月20日閲覧。
- ^ a b “ホームタウン”. 柏レイソル. 2013年4月28日閲覧。
- ^ a b DECADE 柏レイソル10年史 文化工房 星雲社、2004年、p68-71 ISBN 4-434-04119-3
- ^ ストライカー 1994年12月17日号 P.9
- ^ “Jリーグカップ 1996 準決勝”. Data J league. 2024年3月11日閲覧。
- ^ “Jリーグカップ1999決勝”. Data Jleague. 2024年3月11日閲覧。
- ^ レギュラーシーズンではクレーベルが2回、小林祐三、小林亮、明神、土屋、平山、波戸が1回。甲府とのJ1・J2入れ替え戦第2戦で永田である。
- ^ 魅惑の攻撃サッカーで柏がJ1を面白くする。~レイソル躍進の理由と展望~ -NumberWeb: 2011年7月27日
- ^ 『社長交代のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2011年2月18日 。2013年4月28日閲覧。
- ^ 本物の強さを証明した柏がJ1初制覇! 名古屋、G大阪の戦い方と徹底比較。 - NumberWEB: 2011年12月5日
- ^ “柏 ネルシーニョ監督が来季も指揮”. SponichiAnnex. (2013年10月17日) 2013年10月23日閲覧。
- ^ “柏GK中村復帰も悪夢3失点 指揮官へ「辞めてくれ!」の怒号”. スポニチ. (2018年11月4日) 2018年11月26日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 柏レイソルオフィシャルサイト. (2018年11月10日) 2018年11月10日閲覧。
- ^ “柏、C大阪に快勝もJ2降格が決定。神戸は残留。PO圏は最後まで大混戦”. フットボールチャンネル. (2018年11月24日) 2018年11月24日閲覧。
- ^ “降格決定済の柏は2連勝。勝点39で“自動降格チーム史上最高成績”に”. フットボールチャンネル. カンゼン (2018年12月1日). 2018年12月8日閲覧。
- ^ 『2020JリーグYBCルヴァンカップ決勝 11月7日(土)開催中止のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月4日 。2020年11月22日閲覧。
- ^ 『2020JリーグYBCルヴァンカップ決勝 開催日・試合会場・テレビ放送決定のお知らせ 2021年1月4日(月)/国立競技場で開催 フジテレビ系列にて全国生中継(予定)』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月12日 。2020年11月22日閲覧。
- ^ “【柏】最下位の横浜FCに敗れサポ「降格しても監督は続けるのか」布部GMが拡声器を使って説明”. 日刊スポーツ. (2023年5月13日) 2023年5月20日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 柏レイソルオフィシャルサイト. (2023年5月17日) 2023年5月20日閲覧。
- ^ 三協フロンテア株式会社スタジアムネーミングライツ及びユニフォームスポンサー契約締結
- ^ 日刊スポーツ西日本版(大阪・名古屋・西部本社発行)2010年11月30日
- ^ 2010年12月10日・朝日新聞
- ^ スタジアム増築に伴うホームゲーム開催時の運営方法変更について
- ^ フットボールガイスト、レイソル公式サイト
- ^ “日立グループ・アイデンティティとは”. 日立製作所. 2023年9月23日閲覧。
- ^ 『『株式会社日立ビルシステム』ユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2019年4月26日 。2019年5月31日閲覧。
- ^ “『スポンサー募集!Jリーグユニ背面下部の広告解禁”. 日刊スポーツ. (2015年12月15日)
- ^ 『『2013年モデルレプリカユニフォーム』を注文されたお客様へ』(プレスリリース)柏レイソル、2013年1月30日。 オリジナルの2013年2月5日時点におけるアーカイブ 。2013年4月28日閲覧。
- ^ 『『柏レイソル クラブ創立30周年記念ユニフォーム』着用試合のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2022年1月15日 。2022年1月21日閲覧。
日立 / 柏レイソル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 04:44 UTC 版)
プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所本社サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。 加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた。
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