日本への航海、1860-1861年
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「ナイアガラ (蒸気フリゲート)」の記事における「日本への航海、1860-1861年」の解説
1860年5月14日、ウィリアム・マッキーン(William McKean)大佐指揮下のナイアガラ に次の任務が与えられた。米国を訪問した日本の外交使節団を日本まで送り届ける任務であった。6月30日ニューヨークを出港、途中サン・ヴィセンテ島ポルト・グランデ(現カーボベルデ)、ルアンダ(アンゴラ)を経由し、8月27日には喜望峰を通過しインド洋に入った。バタヴィア(現ジャカルタ)、香港を経由し11月8日に日本に到着した。11月27日には帰国の途につき、香港、アデン、ケープタウンを経由し、1861年4月23日にボストンに戻るが、そこで南北戦争の勃発を知った。
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