日本での鍾馗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:39 UTC 版)
日本に鍾馗が流入した経緯は定かでは無いが、最も古い鍾馗図の例として平安時代末期作の辟邪絵のひとつに確認できる。室町時代以降は漢画の画題として多くの画師に好まれた。 民衆のあいだでは、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。 京都市内の民家(京町家)など近畿 - 中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10 - 20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。 平成25年(2013年)12月、京都市東山区にある若宮八幡宮社の境内に日本初となる鍾馗を祭った鍾馗神社が創建された。
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