日宋貿易と南島社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:00 UTC 版)
「奄美群島の歴史」の記事における「日宋貿易と南島社会」の解説
894年の遣唐使の停止や926年の遣渤海使の廃止以降、日本と周辺諸国との国交が公式には途絶する一方で、10世紀頃から日宋貿易が隆盛し、また11世紀頃には九州の太宰府が非公式に高麗との貿易を始めている。 公式にはいずれとも国交の無い状態だったが、朝廷の事実上の黙認と言う形で太宰府への貿易統制権能が移管され、また民間海商にも多くが委ねられ、中央朝廷からの交易に対する統制は大きく緩んでいたと考えられている。 その結果、太宰府を結節点として日宋貿易、日麗貿易、南島貿易が隆盛し、本土はもとより南島交易の中継点となる喜界島(後述)や南島社会に対し、交易のみならず人的、質的な変化をもたらした可能性が指摘されている。これにより南島の貝塚時代が終焉をむかえ、奄美の中世、グスク時代への転換期を迎えたと考えられている。 この時代までを「奄美世(あまんゆ)」とも呼ぶ。
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