新井耕吉郎
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新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年(明治37年)2月26日 - 1946年(昭和21年)6月19日)は、日本の農業技師。群馬県利根郡東村園原(現在の沼田市利根町園原)出身(昭和42年に勲五等瑞宝章叙勲)。日本統治下の台湾において紅茶の栽培に尽力したことで知られる。その紅茶各種の研究・普及活動で台湾紅茶産業の発展に大きく寄与したことから「台湾紅茶の父」または「台湾紅茶の祖」と呼ばれている。
- ^ まどか出版編(2013)、275-276頁
- ^ 「台湾紅茶の父」語り継ぐ 新井耕吉郎の胸像 沼田・薗原ダム近くに移転 上毛新聞 2022年4月14日
- ^ まどか出版編(2013)、268頁
- 1 新井耕吉郎とは
- 2 新井耕吉郎の概要
新井耕吉郎(あらいこうきちろう)
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「茶柱倶楽部」の記事における「新井耕吉郎(あらいこうきちろう)」の解説
「台湾紅茶的守護者(台湾紅茶の祖)」と呼ばれている、日本人技師。紅茶の改良研究に尽力した。高子と李がそれぞれ持っている一対の「獅子茶壺」を贈った人物。
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