救瘟袖暦とは? わかりやすく解説

救瘟袖暦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 06:46 UTC 版)

救瘟袖暦』(きゅうおんそでごよみ、Kyuon Sodegoyomi)は、江戸時代寛政年間に仙台藩江戸詰めの藩医工藤球卿(工藤平助)によって著わされた医学書張機傷寒論』を踏まえた医書である。刊本には平助の友人であった蘭学者大槻玄沢の序が付される。


  1. ^ a b 関(2008)p.121-122。
  2. ^ a b c 門玲子只野真葛小伝
  3. ^ 関(2008)p.151
  4. ^ 門玲子は平助の妻の名を遊(ゆう)とする(門(2006)p.20)が、関民子は妻の名は不明としている(関(2008)p.18)。
  5. ^ 工藤静卿(幼名は桑原管治) の誕生は文化2年(1805年)以降と考えられる。関(2008)p.276
  6. ^ 工藤平助の次男。平助の長女で女流文学者として知られる只野真葛の弟にあたる。


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