戦時統合により設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:00 UTC 版)
1943年4月、戦時下の政府による陸運統合策に基づき、秋田県北部の山本郡、北秋田郡、鹿角郡3郡の13業者が統合。秋北乗合自動車の商号で資本金60万円で発足する。1944年1月に設立登記。1954年3月、秋北バスに商号を変更した。 1962年春、丸善石油(現:コスモ石油)が、東北における石油販売基地にしようと秋北バスを系列化した。当時、営業免許キロ数は850キロ、900名の従業員と貸切車両を含めバスは260台擁していた。しかし、その年に丸善石油がシンガポール進出で躓き、関西財閥が救済に向け奔走する事態となり、なんとか倒産はまぬがれたものの、傍系事業は助けないという条件が示された。丸善石油にはメインバンクの三和銀行(現:三菱UFJ銀行)から、整理担当の重役が乗り込み、関連事業を切り捨て始めた。 秋北バスは、寄り集まった13業社がそれぞれ役員を構成し、経理もまったくばらばらで、経営陣の主導権争いや訴訟沙汰に発展した労使紛争(#秋北バス事件を参照)の泥沼化により倒産寸前の状態に追い込まれていた。秋北バスの元経営陣は上京し、三和銀行の担当者に「秋北バスの株を返してほしい」と要求するが、三和銀行側は「秋北バスを買うなら、(丸善石油の子会社である)大阪、神戸のタクシー会社もいっしょに買ってほしい。一括して売るつもりなので秋北だけとはいかない」と条件を出した。だが中央の大資本家ならともかく、地方の実業家にすぎない元経営陣らは「それはとてもできない」と応じ交渉は難航した。そうしているうちに国際興業のメインバンクの三和銀行が秋北バスの買収を国際興業に持ちかけた。
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