御譜代町
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御譜代町(ごふだいまち)は、江戸時代の仙台藩・陸奥国領仙台城の城下町で尊重された6つの町の総称である。単に譜代町ともいう。大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町で、仙台の町人町の中で上位に置かれた。
- ^ “伊達とは何か<9> 麹と伊達文化”. 奥州・仙台 おもてなし集団 伊達武将隊 (2020年10月14日). 2021年6月3日閲覧。
- ^ 伊東信雄「仙台城下の御譜代町について」166-167頁にもとづく。
- ^ 伊東信雄「仙台城下の御譜代町について」161頁。
- ^ 伊東信雄「仙台城下の御譜代町について」168頁。
- ^ 伊東信雄「岩出山踏査記」151-152頁。
- ^ 『仙台市史』第9巻235頁に資料番号622で1899年(明治22年)の「宮城県仙台旧城下町検断肝煎職制写」を収録。伊東信雄「仙台城下の御譜代町について」162-165頁。
- ^ 伊東信雄「仙台城下の御譜代町について」166-167頁。
- ^ 小林清治『伊達政宗の研究』89頁。
- ^ 渡辺信夫「仙台開府」、仙台市史編さん委員会『仙台市史』(通紙編3近世1)97-101頁。
- ^ 明石治郎「米川家文書」116頁。渡辺信夫「仙台開府」、2001年刊『仙台市史』(通史編3近世1)98-99頁。これらは米川家に伝わる文書に記されたことで、20世紀後葉になって米川家文書が知られる以前には、分裂や町列の事情は不明であった。
- ^ 2003年刊『仙台市史』通史編4(近世2)247頁を参考に作成。
- ^ 伊東信雄は、日市は市と同義で、日の字に特別な意味はないとするが(「仙台城下町人町の商業特権の変遷」175頁)、小林清治は連続常設の市を日市とし月の何日という定期市と区別する用例を指摘する(『仙台市史』第1巻230頁)。
- ^ 伊東信雄「仙台城下町人町の商業特権の変遷」175-176頁。1954年刊『仙台市史』第1巻228頁。
- ^ 1954年刊『仙台市史』第1巻227-230頁、241頁。2003年刊『仙台市史』通史編3(近世2)248-249頁。史料は1953年刊『仙台市史』第9巻5-6頁に資料番号530で「伊藤弥兵衛他一名連署状写」として収録。
- ^ 朴慶洙「城下商人仲間の成立と展開」、2003年刊『仙台市史』通史編4(近世2)249-250頁。史料は1953年刊『仙台市史』第9巻6-9頁に資料番号531で「山崎平左衛門他一名連署申渡状写」として収録。
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