張作霖政権の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:18 UTC 版)
討赤聯軍に対抗するべく馮玉祥も奉天派の郭松齢と連携した。11月23日、黄花崗七十二烈士林覚民の兄で中華民国臨時約法を制定したことで知られていた林長民を秘書長とし、張作霖・楊宇霆の討伐を図り、自軍を東北国民軍に改組した。しかし、関東軍や吉田茂奉天総領事らは、林長民ら国民党勢力の背後にソ連と共産党の影響を感じ、張作霖を支援して東北国民軍を打倒させることを決定。郭は、関東軍の支援を受けた張作霖の反撃に敗北し、処刑された。 1926年12月、張作霖は北京で大元帥に就任し、自らが中華民国(北京政府)の主権者であることを宣言した。
※この「張作霖政権の誕生」の解説は、「張作霖」の解説の一部です。
「張作霖政権の誕生」を含む「張作霖」の記事については、「張作霖」の概要を参照ください。
- 張作霖政権の誕生のページへのリンク