年齢の異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 02:41 UTC 版)
イクバルの没年齢が12歳だとする説は、BLLFのカーン代表が報道に対して説明したものだが、実際にはイクバルはもっと年上だったとする別説もある。 リーボック人権賞の受賞時には、イクバルは11歳と報道されたが、その際にイクバルの家族を知っている者たちが、イクバルの年齢はもっと上と言い出した。屋内で長時間の労働を強いられてほとんど日光を浴びることができない上、食事も不十分で栄養不足から成長が遅れ、外見が実年齢よりも幼く見えることは、南アジアではよく見られる。ただしイクバルの場合は労働環境によるものではなく、父方の親戚が小人症だったことによる遺伝的なものとする説もある。 先述のクレイグ・キールバーガーが1995年にパキスタンで調査した際には、イクバルの母は、イクバルの労働は6歳からと語っている。労働開始が1986年であることは多くの者の間で一致しているため、そのとき6歳なら、没年齢は14歳か15歳の計算になる。ただしキールバーガーがパキスタンを含む南アジアで取材した多くのケースでは、文盲の多くの者が実子の正確な年齢すら知らなかったという事情がある。またパキスタン人権委員会の報告書によれば、イクバルの母が「イクバルが16歳で死んだ」と証言したとある。これらのことからキールバーガーは、イクバルの没年齢が12歳よりもっと上であることは確かと見ている。 また、イクバルが洗礼を受けたラホールの聖フランシス教会にある洗礼証明書によれば、イクバルの生年月日は1976年4月4日とあり、これが事実であれば、イクバルの没年齢は19歳との計算になる。しかしイクバルの郷里であるムリドゥケの教会では、イクバルは4歳から5歳頃から10年間、教会に来ていたとの証言があり、洗礼証明書による年齢とは矛盾する。またイクバルがスウェーデンへ渡った際に、同国の著名な小児科医が小人症とみられるイクバルを診察し、骨年齢などをもとに11歳と断定しており、この診察結果はラホール高等裁判所に報告されている。 キールバーガーの調査では、年齢についての真相は明らかになっていないが、キールバーガーは、年齢が何歳だったかは大した問題ではなく、イクバルが子供たちを労働から解放しようとしていた活動を、自分らが引き継ぐことのほうが重要だと語っている。
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