山本七平
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山本 七平(やまもと しちへい、1921年(大正10年)12月18日 - 1991年(平成3年)12月10日)は、日本の評論家。山本書店店主。評論家として、主に太平洋戦争後の保守系マスメディアで活動した。
- ^ 「戦略PR」
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)345頁
- ^ 山本七平「ベンダサン氏と山本七平氏」『実業の日本』1977年10/1(1899号)49-50頁
- ^ 山本七平「一出版人の人生論」『Voice 特別増刊山本七平追悼記念号』PHP研究所、1992年3月。28-30頁
- ^ 『論語の読み方』の冒頭の文章より
- ^ 文庫版『「孫子」の読み方』(日経ビジネス人文庫)所収の守屋淳による解説。守屋によれば、この書物の孫子の解釈は、元軍人として東南アジアで幾度も死線をくぐり抜けた山本の体験が如実に反映されたものとして、戦争を体験していない学者に比して貴重なものであるという。
- ^ 『日本教の社会学』(講談社)参照
- ^ 文庫版『勤勉の哲学』(PHP文庫)の中の解説、小室直樹『日本資本主義崩壊の論理』(光文社)など参照
- ^ 小室直樹は、『三島由紀夫が復活する』(毎日コミュニケーションズ)の中で、「戦後における天皇制研究のきわめてすぐれたものとして、我々は、丸山真男教授と彼の門下生によるもの、山本七平氏によるものを持っている。」と書いている。ここでの、彼の門下生とは藤田省三、山本七平氏によるものとは、『現人神の創作者たち』を指していると思われる。小室の『天皇恐るべし』(ネスコ)、『天皇の原理』(文藝春秋)などの論考には上記書物からの影響が見られる。
- ^ 秦郁彦「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)」『政経研究』2006年2月[要ページ番号]
- ^ 秦郁彦「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)」『政経研究』2006年2月 P96-P97
- ^ a b 「すばらしき正訳『蒼ざめた馬』」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版(朝日新聞社、1986年)、pp.93-106。ISBN 4-02-260416-6。
- ^ 『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.68。
- ^ 「山本七平式英文和(ゴ)訳の方法」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版pp.265-283。
- ^ 『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.73。
- ^ 「全員一致は有効」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版pp.63-74。
- ^ 英語版(リチャード・ゲイジ訳)の『日本人とユダヤ人』からは完全にこのエピソードはカットされている。浅見は、英訳本では、原書の記述の中で、アメリカ人の常識から見て事実ではない、おかしいと思える箇所が多数にわたり説明無しにカットされたり勝手に書き換えられており、この部分のカットもその一例であると指摘している(『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.22)。
- ^ 『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.16。
- ^ 『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.23。
- ^ 「実在しない『ユダヤ人』の話」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版pp.16-28。
- ^ 『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.103。
- ^ 「聖書の非常識─または山本七平式『聖書の常識』」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版pp.239-264。
- ^ 浅見は、この記述も英訳本からはカットされていることを指摘している。もしカット無しに英訳されていたら、この部分だけでも裁判となり、事実調査が行われただろうと述べている(『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版p.119-120)。
- ^ 「無理もない、『しのびよる日本人への迫害』」『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫版pp.115-123。
- ^ 『山本七平の智恵』PHP研究所、1992年[要ページ番号]
- ^ 原田実『トンデモ偽史の世界』楽工社[要ページ番号]
- ^ 『醜い韓国人』は韓国人協力者はいるものの、韓国人なら当然知っているような事柄にも誤りがあり、ほとんどの内容は加瀬英明が書いたものとされている。
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