居住地と民族性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 21:07 UTC 版)
ブロドニキの一部は、南でヴラフ人に接する、後にモルダヴィア公国(ru)が成立する地域(現モルドバを含む一帯)、現ウクライナ・ブジャク地方の北西部、現ルーマニアのヴランチャ県・ガラツィ県南部等に居住していた。さらにはおそらく、ドニエストル川からドニエプル川間の海岸地帯にも居住していたと考えられる。 ブロドニキは自身に関する遺物や文字を遺しておらず、それがブロドニキの民族的認証を困難にさせているが、ブロドニキはテュルク系民族・スラヴ系民族を起源とすることが確定的である。また、ハザール人、ブルガール人の後裔や、後世にはオグズ族もブロドニキに含まれていたと考えられる。なお、ビザンツ帝国の歴史家ニケタス・コニアテスの1190年の著述の中では、ブロドニキはタウロイの一分枝であるとされている。
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