尼崎市立城内高等学校(新制)の沿革
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1949年4月(昭和24年)尼崎市立城内高等学校(普通科女子高)と尼崎市立琴城商業高等学校(商業科男子校)とが合併し、定時制、総合制、男女共学制の学校となる。 1952年6月(昭和27年)産業教育振興法に基づく国庫補助対象校に指定される。 1958年1月(昭和33年)県下定時制高等学校として初めての全生徒対象の完全給食を実施。 1967年9月(昭和41年)新校舎に移転(旧城内中学校) 1993年9月(平成5年)旧商業学校より通算して60周年を迎え、記念行事の一つとして、校訓「自律・協力・創生」を制定する。 1995年4月(平成7年)文部省教育研究開発学校に指定される。 1996年5月(平成8年)尼崎市より学校指定研究事業の委託を受ける。 1998年3月(平成10年)文部省教育研究開発学校並びに尼崎市学校指定研究事業を終了。 2016年3月31日 (平成28年) 閉校
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