少数民族の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:36 UTC 版)
「ブロニスワフ・ピウスツキ」の記事における「少数民族の研究」の解説
「村崎恭子」も参照 流刑された10数年の間に樺太アイヌ、ギリヤーク、オロッコなどの写真・音声資料を多量に残した。特に蝋管は200から300本残したといわれているが、その多くは今だ行方不明である(ロシアなどで見つかる可能性はある)。現存する蝋管は、樺太アイヌ語最古の音声資料として重要である。 1983年、ポーランドのザコパネに残されていた64本の蝋管がアダム・ミツキェヴィチ大学から北海道大学に貸与され、大学を中心としてピウスツキの資料研究が進められて、蝋管再生及び分析が行われた。樺太アイヌ語の最後の話者とされる浅井タケがこの調査に協力した。
※この「少数民族の研究」の解説は、「ブロニスワフ・ピウスツキ」の解説の一部です。
「少数民族の研究」を含む「ブロニスワフ・ピウスツキ」の記事については、「ブロニスワフ・ピウスツキ」の概要を参照ください。
- 少数民族の研究のページへのリンク