小泉政権から麻生政権まで
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「伊藤達也」の記事における「小泉政権から麻生政権まで」の解説
2002年、第1次小泉第1次改造内閣にて内閣府副大臣(金融、経済財政政策担当)に任命された。2004年、第2次小泉改造内閣にて内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任した。松下政経塾出身者では初の閣僚となる。2005年不良債権問題の終結を世界に宣言した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では民主党の山花郁夫を破って再選。2006年、衆議院財務金融委員長に就任。2007年、党の地域再生調査会長に就任。自民党幹事長補佐として中川秀直幹事長ともに上げ潮派として、経済成長による増税なき財政再建を掲げた経済財政の一体改革を取りまとめる。 2008年、福田内閣にて内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)に就任した。社会保障国民会議を運営し、視察をし、国民の声を集約して内閣総理大臣の福田康夫へ具申した。また、自由民主党国家戦略本部の副本部長にも任命されている。同年、地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合の自民党事務局長に就任した。内閣改造に伴い、いったんは内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)を退任するが、改造後20日ほど経ってから再度任命された。 2008年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人の一人を務めた。リーマンショック後に、自民党中小企業調査会長として中小企業の資金繰りを支援した。特にものづくり補助金を創設し約1.5倍の政策効果があったとされている。2009年の第45回衆議院議員総選挙では前回下した山花に敗れて落選、比例復活もかなわなかった。
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