実在の洪吉童
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:40 UTC 版)
ソウル延世大学の薛盛璟(ソル・ソンギョン)教授によると『朝鮮王朝実録』の燕山君六年(1500年)に洪吉同(童)という匪賊が義禁府に逮捕されたと記されている。それによると洪吉同は正三品堂上官僉知事の服装で部下を引き連れて官府(役所)に堂々と出入りし、あまつさえ別監(長官)に目を通したりしていたとある。そのため盗賊を見過ごし、逮捕しなかった罪で多くの者が流刑になったりした。ただし、逮捕された洪吉同がいかなる刑に処せられたについては記述が欠落している。(燕山実記は世情が乱れたこともあって欠落が多い。) ただしこの洪吉同はモデルの一人かもしれないが、何から何まで物語の洪吉童その人というわけでは無い。義賊という点で言えば黄海道で反乱を起こした白丁出身の盗賊林巨正(イム・コッチョン)の方がスケールは大きくモデルにふさわしい(1559年林巨正の乱)。同じく義賊で民衆のヒーロー(普段は男寺党の芸人。裏の顔は剣契)として張吉山(チャン・ギルサン)がいる。洪吉童、林巨正、張吉山の3人はともに実在の義賊とされ、繰り返しドラマなどに採り上げられる民衆のヒーローだが歴史的な検証はこれからである。むしろそのイメージは重複し、すりかえられ膨らんでいく傾向にある。 たとえば、洪吉同はこのあと処刑されたか、何らかの刑罰をうけたはずだが、最近では洪吉同が生き延びて物語と同じく海を越え、琉球(沖縄県)までやってきたという説(オヤケアカハチの項目参照)や、洪吉同は高級官僚の息子で国王の縁戚であったという説まである。国民的ヒーローだけに興味は尽きないが史実の検証と文学的ロマンは別問題である。
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