学生時代・オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 00:10 UTC 版)
1921年(大正10年)龍馬17歳、大倉高等商業学校(現 東京経済大学)全国中学校大会で走高跳 1m69cmの日本新記録で優勝。アジア大会(当時:極東選手権大会)に出場。東京経済大学の葵走会では「1921年(大正10年)に本学の前身大倉高等商業学校において黒田龍馬が走高跳で1m69cmの日本新記録(当時)を樹立。極東オリンピック(現・アジア大会)に日本代表として出場。我が部ではこれをもって輝ける大倉陸上競技のスタートとしています」と説明がされている。 1922年(大正11年)龍馬18歳 慶應義塾大学経済学部入学 1923年 (大正12年)第一回早慶戦 走高跳で1m65.5cmで優勝。極東選手権大会に走高跳で出場。この年の9月関東大震災起こる
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