女試、開かれる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 14:40 UTC 版)
唐閨臣は、陰若花、林婉如、盧紫萱、黎紅薇、枝蘭音、駱紅蕖、廉錦楓に加え、多九公の姪である秦小春、田鳳翾、剣侠の術を身につけた顔紫綃とともに女試のため上京することに決定する。途上で、唐王朝の血をひく宋良箴も加入した。この頃、武周打倒のために決起した史府は滅ぼされ、徐敬業と駱賓王の子である余承志と洛承志は唐王朝復興のために小瀛州山に集まっていた。女試に向かう唐閨臣の北上とともに人数も増え、29名で長安に入る。泊まった紅文館でさらに増え45名となり、全員が部試を合格する。この時、女児国から飛車に乗って、国舅が陰若花を迎えに来るが、陰若花は断る。殿試が開かれ、武則天に閲する。女試の結果は、合格者100名、一等才女50名、二等才女40名、三等才女10名であった。全て白玉碑の百才女の順位、姓名通りである。当初は、唐閨臣が首席であったのを、武則天が唐閨臣の姓名を問題にしていた。そのため、一位から十位までと、十一位から二十位までの順位をいれかえ、元々、武則天に才芸を見いだされ、女試を開かれる端緒にもなった史幽探、哀萃芳が首席となった。武則天は百才女に面会し、陰若花に女児国に戻るように命じ、陰若花は、盧紫萱、黎紅薇、枝蘭音の3人の同行を願い出て、全て外国の出身であったため、許される。(第55回~第68回)
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