天覧試合予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:57 UTC 版)
1934年(昭和9年)、天覧試合の東京予選に出場し、決勝(5人総当りのリーグ戦)まで勝ち進んだ。その相手の中に野間恒がおり、2人の試合は「事実上の決勝戦」と言われた。この試合において、寅雄は蹲踞から立ち上がるなり、いきなり逆胴を決められ敗北した。この試合は、寅雄がわざと負けて勝ちを譲ったのではないかとの疑惑が生まれ、野間清治から恒のために負けるように詰め寄られたとの噂まで広まった。実際には「(寅雄と恒は)これまで何回か対戦したが、勝ったことがなく、従兄には、どうしても勝てないという先入観があった」というのが原因だったようだが、この結果野間清治と寅雄との関係が悪化し始める。 同年5月、東京代表として天覧試合に出場した恒は優勝を果たし、「昭和の大剣士」と謳われた。
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