大連都市交通へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 20:03 UTC 版)
南満洲電気の業績は好調で、昭和に入ってから高配当を続けていた。しかし、1932年の満州事変によって満州国が成立すると、その影響が思わぬ形で及んだ。満州国側で国内の電力事業政策方針が定められ、満州国・関東州を束ねる大きな電気会社を合同で立てることになったのである。 これに従い、当時満州国の領内にも発電所などの設備を持っていた南満洲電気は他社と合同して新会社の設立に参画した。その結果、1933年11月に「満洲電業」の設立と同時に本業であった電力事業を全て譲渡した。また大連電気遊園地も、関東州に譲渡されることになる。 これにより当社は、2500万円だった資本金を5分の1の500万円に減資して会社の規模を小さくした上で、残された軌道事業・バス事業に専念することになり、社名も「大連都市交通」と改称した。 なおこの時期になると他の都市の軌道会社設立にも関わるようになり、1935年7月には新京市との共同出資で新京交通、1936年8月には復県交通、1937年には奉天交通を設立している。
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