大角岑生
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大角 岑生(おおすみ みねお、1876年(明治9年)5月1日 - 1941年(昭和16年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。位階および勲等、軍功は正二位・勲一等・功五級。
- ^ 男爵大角岑生傳
- ^ a b 『日本陸海軍総合事典』第2版、191頁。
- ^ 城英一郎日記44頁「昭和16年 二月六日(木)晴、午後南西の風稍強し/日航そよ風号(大角〔岑生〕大将、須賀少将、角田、白浜中佐、副官等)五日正午広東発、三灶島へ向ひ行衛不明。三灶島北方の西江下流右岸の黄揚山頂に撃突大破。」
- ^ #高松宮日記3巻200頁「白浜中佐、大角大将と一緒に仏印へゆく途中、三灶島、海口間にて、日航涼風号にて行方不明となる。大角大将、須賀少将、角田中佐、白浜中佐、松田大尉、二-五、一二一四広東發、一二三〇「一二五〇、三灶島着予定の電ありて、消息タユ」
- ^ #昭和天皇実録八308頁「(昭和十六年二月)七日 金曜日(大角岑生搭乗機の遭難)」
- ^ #高松宮日記3巻200頁「皐蘭島(※実際の遭難地点は広東省西岸右岸の黄揚山山腹)に機体大破するを発見セリ(六日一〇五〇)」
- ^ 城英一郎日記45頁「昭和16年 二月九日(日)晴」
- ^ a b c d #昭和天皇実録八310頁「(昭和十六年二月)九日 日曜日(大角岑生死去)」
- ^ 城英一郎日記47頁「昭和16年 二月一七日(月)曇、午後小雨(略)故大角大将一行の遺骨、東京(羽田)着、一六〇〇。」
- ^ 城英一郎日記48頁「昭和16年 二月二〇日(木)曇 当直」
- ^ 昭和16年2月21日官報第4236号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ10「◎勅使皇后宮使竝皇太后宮使 故海軍大将男爵大角岑生葬送ニ付昨二十日午後零時五十五分勅使トシテ侍從公爵徳大寺實厚ヲ皇后宮使トシテ皇后宮事務官入江相政ヲ皇太后宮使トシテ皇太后事務官西邑清ヲ葬儀場ヘ差遣サレ焼香セシメラレタリ」
- ^ 『官報』第5539号「叙任及辞令」1901年12月18日。
- ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
- ^ 『官報』第8552号「叙任及辞令」1911年12月21日。
- ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。
- ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」1921年1月21日。
- ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1925年2月19日。
- ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1931年5月23日。
- ^ 『官報』第1890号「叙任及辞令」1933年4月21日。
- ^ a b 『官報』第4228号「叙任及辞令」1941年2月12日。
- ^ 中野文庫 - 旧・金鵄勲章受章者一覧
- ^ 『官報』第251号「叙任及辞令」1913年6月2日。
- ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。
- ^ 『官報』第3728号「叙任及辞令」1925年1月28日。
- ^ 『官報』第602号「叙任及辞令」1928年12月29日。
- ^ 『官報』第1310号「叙任及辞令」1931年5月15日。
- ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。
- ^ 『官報』第2696号「叙任及辞令」1935年12月27日。
- ^ 『官報』第201号「叙任及辞令」1927年8月29日。
- ^ 『官報』第2897号「叙任及辞令」1936年8月27日。
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