大角人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/29 09:42 UTC 版)
大角人事(おおすみじんじ)とは、日本海軍において大角岑生海軍大臣の任期である1933年(昭和8年)から翌年にかけて、艦隊派主導によって行われた、条約派追放人事のこと。
注釈
- ^ 高橋は軍令部第二課長時代、当時の次長加藤寛治の下で軍令部の権限拡大を図ったことがあった。この時は海相加藤友三郎大将に拒否された。
- ^ 軍令部作戦部長として高橋次長の補佐にあたった嶋田繁太郎は、この改定は『伏見宮殿下が軍令部長であらせられ、非常な御熱意と特別のおぼしめしによってできたものである。また大角さんが大臣であったからこそ、これに同意したのだ。』と述べている。(『四人の軍令部総長』P20)
- ^ ただし、明文化はされなかったが、参謀の補職では軍令部に相談する。兵科将官、艦船部隊指揮官についてもこれに準ずるとされた。(『四人の軍令部総長』P21)
- ^ ロンドン条約で対米7割を割り込んだトン数が巡洋艦数隻分だった。
出典
大角人事と同じ種類の言葉
- 大角人事のページへのリンク