久松五勇士とは? わかりやすく解説

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久松五勇士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 08:22 UTC 版)

久松五勇士(ひさまつごゆうし、旧字体久松󠄁五勇󠄁士)は、日露戦争時に行われた日本海海戦に先立ち、バルチック艦隊発見の知らせを宮古島から石垣島に伝えた5人の漁師の呼び名である。


注釈

  1. ^ 沖縄の伝統的な帆船[1]
  2. ^ 松原村の与那覇蒲とは、同姓同名の別人[1]
  3. ^ 当時はイエークと帆を併用するのが一般的であり、不眠不休で漕いだとは考えにくいとの指摘もある[11][12]
  4. ^ 1912年に宮古島に電信が敷設されたのを本件と関連付ける文献もあるが、ここで述べた通り、久松五勇士の壮挙が広く知られるようになったのは昭和期であることから疑問視される[1]
  5. ^ これらの品も、第二次世界大戦終結に際して焼却されたという[17]
  6. ^ 一方で、戦争中の士気高揚に用いられた時代背景などから、「美談化」への慎重論もある[1][11]
  7. ^ 建立当時は上陸地が定かではなく、「五勇士は平久保半島のどこかに上陸したことは間違いない」という確信のもとに建立場所が決定された[19]
  8. ^ この歌は、近年にも宮古島市久松出身の The Beatle Crusher(ザ・ビートルクラッシャー)というバンドにより『Go-You-Sea』というタイトルでカバーされた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 池上大祐「宮古島のなかの世界史 : 「久松五勇士」像の形成過程」『地理歴史人類学論集』第9巻、琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム、2020年4月1日、19-32頁。 
  2. ^ "バルチック艦隊[帝政ロシア]". ブリタニカ国際大百科事典. コトバンクより2022年6月18日閲覧
  3. ^ a b c 崎原亘新 (1975-08-29). “久松五人の漁夫達<上>”. 琉球新報: 6. 
  4. ^ 奥浜牛”. 粟国アーカイブス. 粟国村. 2022年6月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 『平良市史 第1巻』 1979, pp. 300–306.
  6. ^ a b c d 牧野 1973, pp. 28–37.
  7. ^ a b c 五十嵐力: “遅かりし一時間”. 教科書コレクション画像データベース. 純正国語読本 巻一. 広島大学図書館. pp. 70-76 (1933年). 2022年6月22日閲覧。
  8. ^ a b c 川瀬, 弘至 (2020年9月20日). “【日曜に書く】論説委員・川瀬弘至 沖縄で久松五勇士を踊ろう”. 産経ニュース. 2022年6月18日閲覧。
  9. ^ "垣花善". 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年6月18日閲覧
  10. ^ a b 北村伸治 (1973-06-21). “久松五勇士の軌跡<上>”. 琉球新報: 3. 
  11. ^ a b 崎原亘新 (1975-08-30). “久松五人の漁夫達<下>”. 琉球新報: 5. 
  12. ^ 北村伸治「久松五勇士と当時の気象」『沖縄技術ノート』第3号、沖縄気象台、5-17頁、1973年。doi:10.11501/3251409https://doi.org/10.11501/3251409 
  13. ^ 辻朋季「宮古島「ドイツ皇帝博愛記念碑」を複眼的に捉え直す-宮古島郷土史,ドイツ植民地史の研究成果に立脚して-」『明治大学農学部研究報告』第64巻、第4号、明治大学農学部、137頁、2015年3月31日https://hdl.handle.net/10291/174192022年6月18日閲覧 
  14. ^ 牧野 1973, pp. 42–43.
  15. ^ a b c d e 重信幸彦「「美談」のゆくえ : 宮古島・「久松五勇士」をめぐる「話」の民俗誌(「人類学at home」-日本のフィールドから-)」『民族學研究』第65巻第4号、日本文化人類学会、2001年、344-361頁、doi:10.14890/minkennewseries.65.4_344 
  16. ^ 大阪毎日新聞 (1934年5月18日). “日本海海戦秘史 四青年決死の冒険 遅かりし一時間 『敵艦見ゆ』と警報した沖縄漁民を海軍記念日を期し表彰の運動”. 神戸大学 電子図書館システム. 2022年6月18日閲覧。
  17. ^ a b 牧野 1973, p. 42.
  18. ^ 北村伸治「続 久松五勇士と当時の気象」『沖縄技術ノート』第6号、沖縄気象台、1975年。doi:10.11501/3251412https://doi.org/10.11501/3251412 
  19. ^ 牧野 1973, p. 32.
  20. ^ 沖縄県立図書館 (2004年5月24日). “沖県図2006-02”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年6月18日閲覧。 “「久松五勇士顕彰碑建設の経緯に関する資料」について、『沖縄県史別巻 沖縄近代史事典』沖縄県教育委員会編 国書刊行会 1989 p472の下段14行によると、「1966年8月に平良市久松海岸に「久松五勇士顕彰碑」、9月に石垣島伊原間海岸に「久松五勇士上陸の地」碑が建立された」との記述があります。”
  21. ^ 久松五勇士 功績と勇気再認識”. 宮古毎日新聞社 (2015年7月16日). 2022年6月9日閲覧。
  22. ^ 饒波貴子 (2016年4月28日). “父娘日和 4”. www.lequio.co.jp. 週刊レキオNo.1618. 琉球新報社. 2022年6月18日閲覧。
  23. ^ 久松五勇士(5個入り)”. うずまきパンドットコム. 富士製菓製パン. 2022年6月18日閲覧。
  24. ^ 宮古島でも今年6月 つくる会系教科書採択求める動き”. QAB NEWS Headline. 琉球朝日放送 (2011年8月25日). 2022年6月18日閲覧。


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