大倉書店とは? わかりやすく解説

大倉孫兵衛

(大倉書店 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 13:39 UTC 版)

大倉 孫兵衛(おおくら まごべえ、天保14年4月8日1843年5月7日) - 大正10年(1921年12月17日[1])は、幕末明治から大正にかけての実業家。家業の絵草紙屋から独立して絵草紙屋・萬屋を開店し後に大倉書店、大倉孫兵衛洋紙店(現・新生紙パルプ商事)を設立した。また、森村市左衛門との出会いから日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)、大倉陶園の設立に参加し日本の陶磁器産業に多大なる貢献をした。なお、3代目の大倉孫兵衛にあたる。


  1. ^ 大倉孫兵衛 おおくら-まごべえ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社 (2015年9月). 2018年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月25日閲覧。
  2. ^ 大倉孫兵衛『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  3. ^ 大倉保五郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  4. ^ 百木三郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  5. ^ souseki曽祖父は明治時代、日本橋に書店を経営していたのですが、「我輩は猫である」の初版は、なんとその書店から発売されていたのです。


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大倉書店

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大倉孫兵衛」の記事における「大倉書店」の解説

絵草紙屋・萬屋開店した孫兵衛同業者中でも出来良い錦絵地図取り扱い注目を受けるようになり、自らニュース報道としての錦絵続々刊行し出版社としての歩み始まった。まず新たに明治7年1874年)に日本橋区通1丁目に絵草子屋兼出版業の錦栄堂を開店する明治8年1875年9月15日、大倉書店を創業明治10年には日本橋区通1丁目19営業していた。 そして明治・大正期における日本代表する出版社として葛飾北斎歌川広重画集をはじめ、「ことばの泉」(国語辞典)、「独和大辞典」のほか、夏目漱石初めての単行本吾輩ハ猫デアル」も大倉書店から刊行された。 出版社として道を着々とたどる大倉書店は義弟大倉五郎譲りその後隆盛極めた大正12年1923年9月1日関東大震災全焼という大打撃受けて復興いたらず、更に昭和27年1952年)にも火災遭うなどしてついには廃業した

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