大倉孫兵衛
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大倉 孫兵衛(おおくら まごべえ、天保14年4月8日(1843年5月7日) - 大正10年(1921年)12月17日[1])は、幕末明治から大正にかけての実業家。家業の絵草紙屋から独立して絵草紙屋・萬屋を開店し後に大倉書店、大倉孫兵衛洋紙店(現・新生紙パルプ商事)を設立した。また、森村市左衛門との出会いから日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)、大倉陶園の設立に参加し日本の陶磁器産業に多大なる貢献をした。なお、3代目の大倉孫兵衛にあたる。
- 1 大倉孫兵衛とは
- 2 大倉孫兵衛の概要
- 3 親族
大倉書店
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絵草紙屋・萬屋を開店した孫兵衛は同業者の中でも出来の良い錦絵や地図を取り扱い注目を受けるようになり、自らニュース報道としての錦絵を続々と刊行し出版社としての歩みが始まった。まず新たに明治7年(1874年)に日本橋区通1丁目に絵草子屋兼出版業の錦栄堂を開店する。明治8年(1875年)9月15日、大倉書店を創業、明治10年には日本橋区通1丁目19で営業していた。 そして明治・大正期における日本を代表する出版社として葛飾北斎や歌川広重の画集をはじめ、「ことばの泉」(国語辞典)、「独和大辞典」のほか、夏目漱石の初めての単行本「吾輩ハ猫デアル」も大倉書店から刊行された。 出版社として道を着々とたどる大倉書店は義弟の大倉保五郎に譲り、その後も隆盛を極めたが大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で全焼という大打撃を受けて復興にいたらず、更に昭和27年(1952年)にも火災に遭うなどしてついには廃業した。
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