国防婦人会と割烹着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:55 UTC 版)
昭和期には白い割烹着は一般の主婦にすっかり浸透していた。1932年(昭和7年)に大阪で発足した国防婦人会は「国防は台所から」というスローガンを掲げ、千人針、出征兵士の見送り、廃品回収による献金、軍人遺族の慰問などの諸活動をおこなったが、そのトレードマークになったのが割烹着に襷掛けという会服で、彼女たちは奉仕の場面だけではなく公式の場にも、割烹着姿で臆せずでかけていった。この会服は「着物競争」に陥りがちな愛国婦人会にくらべ、より広汎な大衆動員を可能にしたといえる。1941年(昭和16年)には愛国婦人会と大日本連合婦人会を吸収、統合して大日本婦人会となった。しかし、戦況が悪化し本土決戦が近づくと、それにそなえて大日本婦人会は解散、また、急速に物資が欠乏して木綿も入手できなくなったため、婦人の服装ももんぺ姿へと変わっていった。
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