国民党の衰退と名称変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 08:00 UTC 版)
アパルトヘイト政策の廃止に伴い、1994年に実施した全人種選挙でANCが上下両院で最大勢力に躍進し、アパルトヘイト政策を推進した与党の国民党は、第2党となった。当初はANCと連立政権を担っていたが、1996年に政権を離脱し独自路線を進んだ。 黒人を含む幅広い支持の獲得を目指して国民党の解党、新党結成を主張するロエルフ・メイヤーと、従来の路線を踏襲する党幹事長のマーチナス・V・シャルクウィクが対立するが新党結成を見送った執行部に反発したメイヤーらは離党、新党『統一民主運動』を結成した。 これに対しフレデリック・ウィレム・デクラークは党首を辞任、政界を引退しシャルクウィクが党首に就任した。 シャルクウィクら執行部は保守主義とキリスト教民主主義を理念とする『新国民党』へ党名を改称した。
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