国家資本主義批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:43 UTC 版)
昭和11年6月9日、逓信省による電力国家管理法案が発表された。1937年1月に権藤は、「ファッショ的統制案」として批判した。同案は日中戦争の激化にともない1938年4月に電力管理法として実現する。 権藤は「国家社会主義なるものは、学理上からいえば我輩とは全然異なるが、今次の逓信省案の如きふざけたものではない。官僚統制と結びついた究極的な資本家保護は、国家資本主義である。ファッショと呼ばれるのは、かかるところに因由し居る」と、日本政府の国家管理案を国家資本主義またはファシズムとして批判した。
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