団地建設以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:31 UTC 版)
高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まった。高島平団地の総戸数は10,170戸。団地以外の地域も、高島平全域が新興住宅地であり、地下鉄で山手線の駅への交通が確保されていたことから、若年層が多く入居した。旧来よりこの土地に生活していた人々は多くなかったが、整備された宅地に転居した。この結果、徳丸ヶ原には、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅都市が出現した。こうして全く新しいコミュニティーが形成された結果、高島平には就学前教育機関、小学校、中学校、高等学校が公の手で整備され、団地内には図書館・警察署・消防署(出張所)・役所(板橋区役所高島平出張所)・病院などが順次整備された。さらに、商業施設やスポーツ・レクリエーション施設も多く投資・整備された。 この結果、多くの高島平居住民は地域内で生活全般が充足され、地域内の結びつきをより強くすることになった。当時分譲された高島平一丁目・高島平四丁目・高島平五丁目は戸建住宅街として当時中間所得層の人気を集め、現在[いつ?]に至るまで全般に地域社会は循環している。これに対して、団地地区では居住民の子弟が成人後、あるいは就職後に独り立ちするなどして、1992年をピークに人口が減少に転じ、高齢化問題が表面化している。 かつて、最盛期に高島平には公立(板橋区立)の高島第一から高島第七まで7つの小学校、同第一から第三までと西台の4つの中学校があった。高島平団地も1991年(平成3年)には2万5千人が住むピークを迎えたが、1994年(平成6年)より人口の減少が見られるようになり、少子化が顕著となった。そのため、いくつかの小学校は統合・廃校となった。中学校に関しては全体の教育水準が高く越境入学なども見られることから統合の予定はないが、全体的な生徒数は減少傾向にある。
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