十二単
(唐衣裳装束 から転送)
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十二単(じゅうにひとえ)、または十二単衣は、平安時代後期に成立した公家女子の正装。十二単という名称は、文献上女房装束(にょうぼうしょうぞく)、裳唐衣(もからぎぬ)等と呼ばれていた装束[1]の後世の俗称である。五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)とも呼ばれる。
- ^ 満佐須計装束抄一巻(1175~77) 「も・からぎぬ・こきはりばかま、これを女房のさうぞくというなり」
- ^ 「源平盛衰記」 建礼門院平徳子入水の段
- ^ 高田 倭男 『服装の歴史』 2005年 中公文庫 ISBN 4-12-204611-4
- ^ 八代国治, 早川純三郎, 井野辺茂雄 編 『国史大辞典 挿絵及年表』 1908年 吉川弘文館
- ^ 晴装十二単装束着用之事 - 裳・唐衣・表着・打衣・五衣・単を重ねて打ち着たる様を云ふもの
- ^ a b 石井隆之. “「重なり志向」の日本文化”. 言語文化学会. 2019年11月3日閲覧。
- ^ 「十二単」に比礼(ひれ。長細いスカーフのような物)、桾帯(くんたい、長い布で作られたベルト)、宝冠(ほうかん)を追加、奈良時代の感じを残す。
- ^ 【CGS 日本の歴史 4-3】大和絵とスーパーマリオブラザーズ ~平安文化と現代のつながり~
- ^ 吉野正敏 (2009). “4〜10世紀における気候変動と人間活動”. 地学雑誌 118 (6): 1221-1236 .
- ^ “鹿児島における平均的な気候”. WeatherSpark.com. 2020年1月18日閲覧。
- ^ “仙台における平均的な気候”. WeatherSpark.com. 2020年1月28日閲覧。
- ^ 長崎盛輝等は、袿の上下に重ねることを「重ね」といい、袷の表地と裏地の色の取り合わせによって透けて見える具合を「襲」と使い分けている。
唐衣裳装束
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十二単と通称され、物具装束が廃れた現在では、最高の女性の装束とされる。構成は内側から、小袖(こそで)、長袴(ながばかま)、単(ひとえ)、五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)、表衣(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)。小袖の色は常に白、袴は捻襠(ねじまち)仕立てで、色は平安時代には未既婚にかかわらず常に緋とされたが江戸時代以降は未婚者は濃紫(こき)、既婚者は緋とされた。
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