和約と第三次英蘭戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:49 UTC 版)
「メドウェイ川襲撃」の記事における「和約と第三次英蘭戦争」の解説
この襲撃でイングランドの損失額は約20万ポンドにも上った。チャールズ2世は和平交渉をより深刻に受け止めざるを得なくなり、それから数週間のうちにブレダの和約により戦争は終わった。この和約でセントクリストファー島とモンサラットがイングランドに、アカディアがフランスに返還された。またオランダはスリナムを、イングランドにはニューヨークとニュージャージーを支配下に置いた。オランダの勝利により、航海条例はオランダ向けに緩和され、ドイツの商品がオランダ船でイングランドに輸入されるようになり、戦争中に奪取された多くの植民地が元の宗主国に戻された。しかしその後、スウェーデン、オランダと共に対仏三国同盟を締結したイングランドに対し、フランス王ルイ14世が経済援助と引き換えにオランダとの戦争を促した。これが後にドーヴァーの密約へと発展し、これを不服としたオランダの軍事拡張が第三次英蘭戦争の引き金となった。
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