呂106水雷長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:50 UTC 版)
太平洋戦争開戦後に潜水学校乙種学生として潜水艦水雷長養成課程に進む。潜水艦水雷長は先任将校として潜水艦長を補佐し、また魚雷管理および潜航作業の責任者でもある。1942年(昭和17年)12月、竣工した「呂106」水雷長に就任。「呂106」は「呂百型潜水艦」の一艦であり、基準排水量が525tという小型潜水艦であった。速力は水上14.2ノット、水中8ノット、航続力は水上12ノットで3500海里であり、防御的性格であった。 「呂106」は習熟訓練を経て、翌年3月に南東方面の海軍作戦を担った第八艦隊所属の第七潜水戦隊に編入され、南方に出撃する。この時期はすでにガダルカナル撤退が終了しており、「呂106」はソロモン諸島方面での連合国の増援阻止を目的に行動した。竹間の在任中にレンドバ島へ連合国軍上陸を迎え、7月18日にLST「LST-342(英語版)」(1,625トン)を雷撃によって撃沈した。8月には「呂一〇〇型潜水艦」6隻で第五十一潜水隊が編成され、その一艦として交通遮断戦などに従事している。
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