同時代の馬産家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:54 UTC 版)
「フェデリコ・テシオ」の記事における「同時代の馬産家」の解説
エイブラム・S・ヒューイットは、著書『名馬の生産』でテシオを同時代の著名な馬産家のアーガー・ハーン3世やマルセル・ブサックと比較し、以下のことを指摘している。 ブサックはホーム・ブリーダー、テシオはアウトサイド・ブリーダー。 アーガー・ハーン3世はスピードを基礎として持久力を作り出せると考えていたが、逆にテシオは持久力を基礎としてスピードを作り出せると信じていたようだ。 なおテシオの共同経営者であったインチーサによると、1939年頃にアーガー・ハーン3世が、イギリスおよびアイルランドに置いている彼の持ち馬を丸ごと買い取らないかとテシオに持ち掛けたことがあったという。金銭的な条件面では折り合いが付きそうだったが、付帯条件(全ての馬を即刻引き取ることや馬だけでなく厩務員の面倒も見ることなど)の面で合意に至らず、実現しなかった。 イタリア国内での数少ないライバルにジュゼッペ・デ・モンテル(Giuseppe De Montel)がいた。デ・モンテルは豊富な資金力を背景に各国から良血馬を次々に導入し、1929年にはテシオに先んじてオルテッロで凱旋門賞を制覇している。当時のイタリアで、自分の繁殖牝馬を国外の種牡馬の元へ積極的に送り込む馬産家は、テシオとデ・モンテルくらいしかいなかった。
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