吉岡康弘とは? わかりやすく解説

吉岡康弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 06:03 UTC 版)

吉岡 康弘(よしおか やすひろ、1934年4月11日[1] - 2002年4月17日)は、岡山県出身の映画撮影監督、写真家。大島渚監督の「絞死刑」や勅使河原宏監督作品などで撮影監督を担当した。

1961年、読売アンデパンダン展に出品した写真作品が「ワイセツ」との理由で開催4日目にして撤去された(『獣愛』参照)。吉岡康弘はそれに抗議するかたちで、その撤去された作品を主にした写真集『吉岡康弘作品集』を自費出版した(1962年)。DM方式で販売されたがほとんど売れず、お茶の水駅近くの喫茶店ジローで写真展及び写真集の即売会を催した。しかし即座にワイセツ物陳列罪で、アンデパンダン展同様の憂き目となってしまった。中原佑介滝口修造黛敏郎安部公房勅使河原宏石元泰博によるテキストが寄せられている(書肆小笠原のサイト参照)。

1972年、平岡正明主宰「犯罪者同盟」機関誌「赤い風船あるいは牝狼の夜』(宮原安春編、前夜社)に収録した吉岡康弘撮影の無修正ヌード写真が問題となり、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から指名手配を受けたが、不起訴。

工藤哲巳・吉岡康弘 岡山の生んだ異才とその周辺」展が開催された(1975年、岡山[1])。

2002年4月17日、肝臓癌のため死去[1]

スチール写真

映画撮影

  • 『無理心中日本の夏』大島渚監督、1967年
  • 『絞死刑』大島渚監督、1968年
  • 帰って来たヨッパライ』大島渚監督、1968年
  • 新宿泥棒日記』大島渚監督、1969年
  • 『少年』大島渚監督、1969年
  • 『男一匹ガキ大将』村野鉄太郎監督、1971年
  • 『夏の妹』大島渚監督、1972年
  • 鬼の詩』村野鉄太郎監督、1975年
  • 遠野物語』村野鉄太郎監督、1982年
  • 『国東物語』村野鉄太郎監督、1985年
  • 『上方苦界草紙』村野鉄太郎監督、1991年

主要作品集・著作

  • 『吉岡康弘作品集』私家版、1962年
  • 「獣愛 第三のヴィナス』構成・装幀:杉浦康平、序文:加藤郁乎 (綜合図書、1971年)
  • 『アヴァンギャルド60’s (フォト・ミュゼ)』(新潮社、1999年)
  • 小説『ロンバルディアの歌』(ワイズ出版、2008年)

文献

  • 『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修司著、イラスト:横尾忠則、写真:吉岡康弘(初版:芳賀書店、1967年)
  • 「赤い風船あるいは牝狼の夜』吉岡康弘、赤瀬川原平他 (宮原安春編、前夜社、1972年)
  • 『六月の風』172号(2002年6月)『特集:60年代前衛の友情 吉岡康弘の死に』

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.666




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