台湾航路略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 23:17 UTC 版)
大阪商船は、日清戦争終結後、戦争の結果獲得した台湾への航路開設をいち早く検討し、社員を現地に派遣した上で資本金を増強して航路開設の準備を行った。また、航路開設の申請書を台湾総督府に提出した。その結果、台湾総督府は大阪商船に対し、1896年5月以降に大阪と基隆間の航路を台湾総督府命令航路として定期航海を下命した。その後、日本側の基点が大阪が神戸に変更され、大阪商船に対する下命の翌1897年には日本郵船に対しても神戸・基隆間航路を命令航路として下命したが、後者に対して大阪商船では、大型船の投入などで常に先手を打ってサービスの向上に努めた。
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