南北和議とは? わかりやすく解説

南北和議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 15:54 UTC 版)

南北和議(なんぼくわぎ)とは、革命等により、一国内で政権が分裂している状態において、南の政府と北の政府が和議を行うこと、またその結果、和議が成立した状態をいう。いろいろなケースで使いうる言葉であるが、ここでは、中国の辛亥革命後の南北和議について述べる。




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南北和議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:36 UTC 版)

汪兆銘」の記事における「南北和議」の解説

中華民国成立したものの、戦力不足のため清朝政府打倒するまでには至らなかった。一方清朝の側も帰趨定まらない北洋軍閥巨頭袁世凱再出馬を請うまでに追い詰められており、両者の対立膠着状態に陥った。ここで、袁世凱が、まだ幼少であった宣統帝溥儀退位させ、その代償として孫文に代わって袁世凱臨時大総統職に就任するという奇策浮上した。この奇策実現一役買ったのが汪兆銘であった。 汪は出獄後袁世凱腹心楊度国事共済会を組織し、袁の子息袁克定(中国語版)とも接触し、南北和議における南方委員となって孫文代理として両者連携画策し秘密裏協議重ねた彼の暗躍もあって南北和議の密約成立2月には袁世凱圧力のもと宣統帝退位し清朝崩壊し始皇帝以来専制王朝体制終わりを告げた。その直後密約どおり、孫文臨時大総統辞職することを表明し3月袁世凱臨時大総統就任した汪兆銘のこの動きはしかし革命派のなかでは、後退した戦略として問題視されることもあった。

※この「南北和議」の解説は、「汪兆銘」の解説の一部です。
「南北和議」を含む「汪兆銘」の記事については、「汪兆銘」の概要を参照ください。

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