南京国民政府での活動とは? わかりやすく解説

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南京国民政府での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 08:19 UTC 版)

褚民誼」の記事における「南京国民政府での活動」の解説

1937年民国26年)に上海日本軍により陥落したが、褚民誼は、中法国工学院の事務係りそのまま上海に留まった。1939年民国28年5月上海秘密裏訪問した汪兆銘誘い応じ、褚も親日政府樹立に動くことになった同年8月、汪が上海国民党第6回全国代表大会開催する。褚は中央監察委員会常務委員中央党秘書長選出された。 1940年民国29年3月南京国民政府成立すると、褚民誼は行政院副院長外交部部長任命された。以後日本との外交折衝を主に担当する同年12月に、駐日大使となった1941年民国30年10月外交部長復帰している。その後外交事務引き受け、後に昭和天皇から勲一等旭日大綬章授与されている。南京国民政府では、特に汪兆銘陳璧君に近い派閥である「公館派」の一員目された。1944年民国33年11月に汪が死去すると、陳公博代理主席となった。しかし、陳公博と褚民誼は不仲対立激しく周仏海斡旋必要なほどであったとされる1945年民国34年7月広東省長兼保安司令広州綏靖主任任命された。同年8月日本敗北すると、褚民誼は、蔣介石に対して従順な姿勢をとった。しかし、結局10月広州で蔣の命により逮捕されてしまう。1946年民国35年4月漢奸の罪により死刑宣告され同年8月23日蘇州監獄処刑された。享年63

※この「南京国民政府での活動」の解説は、「褚民誼」の解説の一部です。
「南京国民政府での活動」を含む「褚民誼」の記事については、「褚民誼」の概要を参照ください。

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