千歯扱きの構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:30 UTC 版)
当初の千歯扱きは、江戸幕府編纂の『和泉志』によると、稲扱き用で長さ三尺・91cmで高さも同様で四脚で前足を短くし斜めにして、長さ五、六寸・15から18cmの篇釘20歯を列ねて1日で稲30束を処理できたとある。千歯扱きの歯は穂(「刃」の事。以下「穂」と呼ぶ)と呼ばれ、1挺(ちょう)あたり17〜27本ほど使われ、台木に櫛状に留めてある。穂の断面は江戸時代が長方形の平打(ひらうち)で、幅広で短く造られていたが、明治時代になると、面取打(めんとりうち)や槍打(やりうち)など、断面の形状に改良を加えた穂が使われた。穂は、からみ釘という釘を使って台木に取り付けている。穂と穂の隙間を「目」といい、稲用と麦用で異なる。福井県若狭地方では稲用が5厘(約1.5mm)で一銭銅貨が通る幅、麦用は1分目(約3mm)で二銭銅貨が通る幅とされ(実際の幅はバラバラである)目はからみ釘で調整していた。からみ釘で調整された穂はさらに押打棒(おしうちぼう)という角材で台木に固定されていた。
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