北平無血開城
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国共内戦の勃発に傅作義は内心反対であったが、内戦では人民解放軍と華北で戦闘を展開した。1947年(民国36年)1月、傅は察哈爾省政府主席に転じた(後任の綏遠省政府主席には、部下の董其武が就いている)。 同年12月には、華北剿匪総司令に任じられ、北平に拠点を置いている。しかし、翌年に指揮下にあった新第32師が人民解放軍に殲滅されるなどの打撃を受け、戦況は好転しなかった。年末からは各方面の和平工作もあり、ついに1949年(民国38年)1月、傅作義は北平を無血開城している。 中華人民共和国成立後は、中央人民政府委員、軍事委員会委員、水利部部長、全国人民代表大会代表、国防委員会副主席、中国人民政治協商会議全国常務委員、同副主席などを歴任した。特に水利部長の地位には、建国直後から死去直前まで25年間在任している。 1974年4月19日、北京にて病没。享年80(満78歳)。
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