北岡伸一
北岡伸一(東京大学名誉教授)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 03:48 UTC 版)
「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の記事における「北岡伸一(東京大学名誉教授)」の解説
東京大学名誉教授の北岡伸一は、1875年(明治8年)9月20日の江華島事件において、日本は朝鮮の責任を追及して、1876年(明治9年)2月に日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させたと説明し、このとき福澤は、本社説を『郵便報知新聞』に発表し、日本の真の課題は欧米との競争であり、それも軍事における競争ではなく貿易、商売における競争である、朝鮮の無礼をとがめて事を起こすのは、事柄の大小緩急を誤ったものである と述べたことを説明し、これは福澤が「殖産興業、内地優先を力説した」ものだと解説した。
※この「北岡伸一(東京大学名誉教授)」の解説は、「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の解説の一部です。
「北岡伸一(東京大学名誉教授)」を含む「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の記事については、「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 北岡伸一のページへのリンク