赤木桁平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 14:23 UTC 版)
赤木 桁平(あかぎ こうへい、本名:池崎 忠孝[1](いけざき ただよし、後年はちゅうこうと名乗ることもあった)、旧姓:赤木[1]、1891年(明治24年)2月9日[1] - 1949年(昭和24年)12月10日[1])は、日本の評論家、政治家。
注釈
- ^ 1915年から1921年まで、新潮社から刊行された。全12冊。「舞鶴心中」近松秋江、「舞妓姿」長田幹彦、「小さん金五郎」田村俊子、「小夜ちどり」長田幹彦、「恋ごころ」田山花袋、「お才と巳之介」谷崎潤一郎、「箕輪心中」岡本綺堂、「みだれ髪」小栗風葉、「お七吉三」田村俊子、「葛城太夫」近松秋江、「江島生島」小山内薫、「桑名心中」長田幹彦
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 岡山県立図書館. “デジタル岡山大百科 | レファレンスデータベース”. デジタル岡山大百科. 2022年7月7日閲覧。
- ^ 澤田『近代日本人のアメリカ観』後編第3章「池崎忠孝の日米戦争宿命論」。
- ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p341 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 『官報』第5675号、昭和20年12月11日。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、151頁。NDLJP:1276156。
固有名詞の分類
- 赤木桁平のページへのリンク