動力近代化計画
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動力近代化計画(どうりょくきんだいかけいかく)は、日本国有鉄道(国鉄)の保有する鉄道車両の動力を近代化する計画。具体的にはエネルギー効率が低く燃料費がかさむ上、大量の煙のために安全性や快適性に問題がある蒸気機関車を計画的に廃止・淘汰する(動力源の近代化)とともに、旅客車については原則として電車もしくは気動車に置き換える(動力方式の近代化)という内容。国鉄内部に設置された動力近代化調査委員会が1959年(昭和34年)6月20日に答申し、翌1960年(昭和35年)から実行に移された。また、鉄道関係者からは蒸気機関車の淘汰によって不快な煙から解放されることを意味する無煙化という表現もされた。
注釈
- ^ 1960年(昭和35年)製造のEF30形もシリコン整流器であるが、関門トンネル連絡用の特殊設計で交流では全出力を発揮しないものであり、整流器の容量が小さい
- ^ 荷物・郵便輸送においては、大都市部ではこれらの車両のみで編成される専用列車が多かったが、地方部では専用列車を運行するほどの需要がないため旅客列車に荷物車・郵便車を混結していた。これらの車両はそのまま幹線系の荷物列車に連結して継送するため直通運用を行う線区の郵便・荷物輸送は客車で行う必要があった。
- ^ 動力の種類によって動力車操縦者の免許、整備資格、配置区(主に一般形と急行形の気動車は機関区に、電車は電車区に配置される)が異なる。動力方式の切り替えや新形車の導入のたび、合理化(職場や人員の整理)を推進したい本社や各鉄道管理局と、それによって雇用が脅かされるとする労働組合が対立し、折衝に多大な時間と労力を要するようになっていた。
- ^ 内房線、外房線の電化は、需要の他に鹿野山測地観測所の地磁気観測に影響があることから、この時点では直流電化は不可能とされていた。
- ^ 1975年3月10日国鉄ダイヤ改正の時点で、定期の昼行優等列車で客車を使用していたのは、函館本線の急行「ニセコ」1往復のみであった。
- ^ 民営化後の旅客鉄道会社が営業列車運行用に製造した機関車は、JR東日本によるEF510形15両と、JR九州がななつ星 in 九州のために製造したDF200形1両のみである。
出典
- ^ 『日本の電車物語 旧性能電車編 創業時から初期高性能電車まで』pp.62, 65
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』pp.98, 99
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』 p.171。
- ^ 『鉄道車両を知りつくす』 川辺謙一 学習研究社 p.76。
- ^ 国鉄動力車労働組合 1968, p. 8.
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』 p.177。
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』 p.172。
- ^ 『日本の国鉄』 p.168。
- ^ 『日本の国鉄』 p.169。
- ^ 浅原信彦「国鉄蒸気機関車略史」『Rail Magagine』2015年5月号 (No.380) 、ネコ・パブリッシング
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』 p.168。
- ^ 石原米彦「山陽・鹿児島本線の電化方式について」『交通技術』第13巻第10号、交通協力会、1958年。
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』 p.179。
- ^ 新垣恒夫「動力近代化と交流電化」『JREA』第7巻第4号、1964年4月、2 - 7頁。
- ^ a b 国鉄動力車労働組合 1968, p. 4-5.
- ^ 4 労働問題 - 昭和45年度運輸白書
- ^ 蒸気機関車終焉の地・追分、復活の地・新金谷【エッセイ】 - 鉄道チャンネル・2020年12月24日
- 1 動力近代化計画とは
- 2 動力近代化計画の概要
- 3 計画の進展
- 4 計画の推移
- 5 脚注
固有名詞の分類
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