創設期から全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 06:11 UTC 版)
李雄は306年6月に皇帝に即位し、国号を大成とした。さらに漢中を占領するなど勢力を拡大したが、一方で巴郡(現在の重慶市)に逃れた羅尚との対立には苦しめられた。しかし、310年7月に羅尚が病死したので李雄の益州支配は完成した。 李雄は漢族からも広く人材を吸収し、また当時は永嘉の乱で華北が争乱状態のために成漢は中原からの流民の避難場所としての機能も果たしていた事がかえって幸いし、多くの人材が成漢には登用された。また李雄の治世が31年という長期間にわたって続いた事も、国内が比較的安定して、混乱する華北を尻目に別天地のような繁栄を享受する事になった。李雄は334年4月に死去した。
※この「創設期から全盛期」の解説は、「成漢」の解説の一部です。
「創設期から全盛期」を含む「成漢」の記事については、「成漢」の概要を参照ください。
- 創設期から全盛期のページへのリンク