成漢とは? わかりやすく解説

せい‐かん【成漢】

読み方:せいかん

中国五胡十六国の一。304年、氐(てい)族の李特四川建国国号は成、のち漢とした。都は成都347年東晋桓温滅ぼされた。後蜀(こうしょく)。


成漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 22:33 UTC 版)

成漢(せいかん、拼音: Chéng Hàn304年 - 347年)は、中国五胡十六国時代族の一派である巴氐族(または巴賨族とも呼ばれる)の李雄によって建てられた国。後蜀(こうしょく)と称されることもある[1]。国号は最初は「」(大成)であったが、後に「」に変更された事から合わせて成漢といわれている[2]


  1. ^ a b c d e 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P53
  2. ^ a b c d e f g h i j 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P55
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P54
  4. ^ a b c d e f g h 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P56


「成漢」の続きの解説一覧

成漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:50 UTC 版)

中国帝王一覧」の記事における「成漢」の解説

李特は、武帝によって、始祖景帝追号された。 李特在位302年 - 303年) 秦文王李流在位303年武帝李雄在位303年 - 334年304年までは「成都王」を自称以後は「成」の皇帝称する哀帝李班在位334年廃帝李期在位334年 - 338年中宗昭文帝李寿在位338年 - 343年後主李勢在位343年 - 347年中宗昭文帝が、338年に、国号を「成」から「漢」に変えた

※この「成漢」の解説は、「中国帝王一覧」の解説の一部です。
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