前身・大野製材時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 前身・大野製材時代の意味・解説 

前身・大野製材時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:12 UTC 版)

大野電気」の記事における「前身・大野製材時代」の解説

1909年明治42年1月豊橋市豊橋電気によって、豊橋方面送電する発電所置かれ南設楽郡作手村大字保永(現・新城市作手保永)の見代集落に電灯つけられた。これが奥三河最初電灯である。3年後1912年明治45年3月末には同じく豊橋電気の手によって南設楽郡新城町(現・新城市)での配電工事完成した新城町東北豊川水系宇連川三輪川)の東岸には八名郡大野町(現・新城市大野)がある。ここは豊川宇連川左岸にあたる八名郡内で唯一の市街であった大野町における電気供給事業は、1911年明治44年4月11日付で字滝久保にある大野製材合資会社代表者伴家浅吉)が事業許可得たことを発端とする。大野製材1908年明治41年創業製材工場で、町内流れ宇連川支流阿寺川水力利用し操業していた。兼営電気事業はこの水力設備転用して工場操業しない夜間最大7キロワット水力発電をなすことで町内配電する、というものであり、翌1912年4月26日開業した。この当時八名郡唯一の電気事業であった開業から7年経った1919年大正8年時点でも大野製材電源は7キロワット水力発電所のみで、供給区域大野町内に限られる同年供給成績電灯需要家225戸・取付灯数414であった

※この「前身・大野製材時代」の解説は、「大野電気」の解説の一部です。
「前身・大野製材時代」を含む「大野電気」の記事については、「大野電気」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「前身・大野製材時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「前身・大野製材時代」の関連用語

1
大野電気 百科事典
10% |||||

前身・大野製材時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



前身・大野製材時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大野電気 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS