初期ロックの影響と同時代現象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
「ポピュラー音楽」の記事における「初期ロックの影響と同時代現象」の解説
ちょうどこの頃は奴隷解放後も解消されない差別(人種隔離制度と制度的差別体系)に苦しんでいた黒人たちが公民権運動を開始した時期である。 ニューヨークの黒人ジャズが復活し、ハードバップまたはモダン・ジャズと呼ばれた。公民権運動にあわせ、黒人側からのラディカルな抗議を表明する曲が書かれ、また原点回帰とばかりにブルースやゴスペルの要素を取り入れ、その演奏には黒人の体臭を意味する〈ファンキー funky〉という形容詞がつけられた。マイルス・デービスは初期の代表者だが、クール・ジャズの創始者でもある。 初期のロックンロールはリズム・アンド・ブルースとほとんど変わらなかったが、白人のロックンロール歌手が増えてくるにつれ、リズム・アンド・ブルースは、よりゴスペルなどのアフリカン・アメリカンの要素を取り込み、ソウル(ソウル・ミュージック)と呼ばれるようになった。レイ・チャールズはソウルの発展に大きく貢献した。社会背景的には先に挙げた公民権運動があった。 ロックンロールの登場に刺激されてヒルビリーも電気楽器をとりいれ、より洗練されたアレンジを用いるようになる。それにともない、レコード会社は従来の「ヒルビリー」にかえて「カントリー・アンド・ウェスタン」のレーベル名を導入した。 メイン・ストリームでは、ポピュラー・ソングが最後の最盛期を迎えており、フランク・シナトラやペリー・コモがテレビにも進出しつつ活躍した。このころミュージカル映画はテレビに押され始め、制作費の高騰で本数も減り黄金時代は終わりを告げる。「ウェスト・サイド・ストーリー」(1961年)「マイ・フェア・レディ」(1964年)「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)などは最後のミュージカル映画のヒット作である。
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