初期の不人気と産駒の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 00:25 UTC 版)
「トウショウボーイ」の記事における「初期の不人気と産駒の活躍」の解説
種牡馬入り初年度、トウショウボーイの種付け額は60万円、交配予定頭数は70頭であった。しかし生産者からの人気は低く、組合幹部が方々と交渉して予定頭数を確保したものの、相手をした繁殖牝馬は血統面で劣る、あるいは受胎率が低い、高齢、健康に不安があるといった負の要素を持った馬が多かった。2年目もまた同様であり、初期のトウショウボーイ産駒はほとんど評価されず、低価格の抽せん馬となるものが多かった。 しかし2年目の産駒からダイゼンキングが阪神3歳ステークス等を制して1982年度の最優秀3歳牡馬に選出され、トウショウボーイは同年度の3歳リーディングサイアーとなる。翌1983年には、ほぼ唯一の一流牝馬であったシービークインとの産駒ミスターシービーが、シンザン以来19年振り3頭目、父内国産馬としては史上初のクラシック三冠を達成し、生産者を驚かせた。また、当年には初年度産駒の抽せん馬ラブリースターが重賞2勝を挙げた。翌1984年、トウショウボーイはJRA顕彰馬に選出された。これに合わせて生産地での人気も急増、当年の種付け株の取得競争率は9.4倍となり、交配に当たって相手牝馬の審査が行われるようになった。
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