分離派の進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:02 UTC 版)
1月27日、分離派はホールリウカ方面からデバルツェボへの侵入を試みたが、撃退された。翌日にはDPRの指揮官がDPR軍が都市に通じるハイウェイを占領し、都市をほぼ完全に包囲したと語った。 1月28日、ウクライナは民間人をデバルツェボから北西50kmの位置にあるアーテミヴスク市に避難させた。 1月29日、ウクライナの国会議員Dmytro Tymchukは分離派勢力がデバルツェボ攻勢の「縮小」を余儀なくされたと語った。同氏によれば、ウクライナ支配地域から政府軍を排除しようとしていた分離派は政府軍による砲撃で重大な損害を受けたとした。BBCニュースは分離派勢力がこの砲撃を受けている様子を撮影した映像を公開した。砲撃にも関わらず分離派はデバルツェボの西13kmに位置しDPRが支配するホールリウカへのハイウェイ上にある町「Vuhlehirsk」を占領した。分離派はウクライナの防衛線を突破し、政府の検問所を越え町に侵入し、その後中心部まで侵攻した。Vuhlehirskの政府軍の兵士を救援するために増援が送られた。AP通信は町の失陥でウクライナ軍によるデバルツェボ防衛が大幅に困難になったと報じた。一方で、政府軍はデバルツェボ本土の民間人3人が反乱軍による「継続的な」砲撃で死亡したと述べた。 1月30日、砲弾がバスやKyibishevskiy地区の文化センター(人道援助物資配給所)に直撃した。BBCによれば、市内にはウクライナ軍と共に多くの民間人が取り残された。一部はアルテーミウシク(デバルツェボのポケットへの入り口にあるウクライナ支配地域)に避難した。ロシアのテレビ局「Vesti」はデバルツェボにはウクライナ軍の兵士約8000人が残っており、分離派勢力がポケットの入り口を閉じる寸前だと報じた。ウクライナの領土防衛大隊の指揮官セミョン・セメンチェンコは、大部分がDPRの支配下にあるという事実にも関わらず、ウクライナ兵はVuhlehirskで踏みとどまり続けていると述べた。ウクライナ国家安全保障・国防会議(NSDC)のAndriy Lysenko報道官はVuhlehirskのウクライナ軍部隊を救援するための増援が到着したとし、前線は保たれていると述べた。当日にわたって、BM-21の砲撃により装甲兵員輸送車と貨物車がアルテーミウシクとデバルツェボ間(50km)を結ぶ南北のハイウェイを通行することが難しくなったことからウクライナの補給線はほぼ切断された。BM-21のロケットが市内のアパートに直撃し少なくとも民間人7人が死亡した。残っていたデバルツェボの住民は戦闘が過激化する中、市外へ避難し始めており、住民を紛争地帯からアルテーミウシクへ連れ出すバスが1日に3本手配された。
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