分譲地開発計画の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 21:31 UTC 版)
それまでは農家が点在する武蔵野の原野・雑木林であったが、明治後期、欧米の財産管理や不動産関係の信託業務を視察して帰国した、三井銀行(現在の三井住友銀行)の岩崎一が興した東京信託株式会社が明治44年より土地を買収・開発し、大正2年(1913年)から富裕層向けに分譲された。 場所は大山街道に敷設された玉電桜新町駅の南側に広がる、当時の駒沢村および玉川村の一部を含む「世田谷新町」一帯。(現在の住所で言う桜新町および深沢の一部)東京市中の商人や、多くの著名人、軍人、事業家などが、交通の便が良く、西方の眺望のよい新町住宅地に別荘などとして居を構えた。「東京の軽井沢」とも称され、分譲地内の道路の両側には桜の木が千本以上植えられた。
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