円谷特技プロダクションとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 円谷特技プロダクションの意味・解説 

円谷プロダクション

(円谷特技プロダクション から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 04:16 UTC 版)

株式会社円谷プロダクション(つぶらやプロダクション、: Tsuburaya Productions Co., Ltd.)は、日本の独立系映像製作会社。円谷フィールズホールディングスの連結子会社でバンダイナムコホールディングスの持分法適用会社。


注釈

  1. ^ 東宝での配給は断ったという。
  2. ^ キー局での放送開始が特撮テレビドラマ『マグマ大使』に約2週遅れとなったため、最初のカラーテレビ特撮作品とはならなかった。
  3. ^ 2022年現在も、かつてのスタッフである「玉川静」が社長となって存続しているが、TYOの買収以降の円谷プロダクションとは一切関係ない別資本の会社となっている。『ウルトラマンメビウス』以前の作品の音楽の版権の一部は同社が保有している。

出典

  1. ^ 白石雅彦 2006, p. 239.
  2. ^ 円谷英明 2013, pp. 49–50.
  3. ^ 伊藤孝一、公野勉、小林義寛「映画はこうしてつくられる」風塵社 2008年12月1日 pp.225 円谷粲のインタビューより
  4. ^ 円谷英明 2013, pp. 87–92.
  5. ^ 円谷英明 2013, p. 129.
  6. ^ 円谷英明 2013, pp. 126、129.
  7. ^ 円谷英明 2013, pp. 64 - 65、89.
  8. ^ a b c プロフィール 円谷夢工房
  9. ^ a b c 大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴ZAKZAK 2003年9月2日
  10. ^ 円谷英明 2013, p. 170.
  11. ^ 円谷英明 2013, p. 182.
  12. ^ 円谷英明 2013, p. 183.
  13. ^ 円谷英明 2013, pp. 163、186.
  14. ^ 子会社化(株式会社円谷プロダクションの株式取得)に係る株式会社ティー・ワイ・オーとの譲渡契約締結に関するお知らせ (PDF)
  15. ^ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE読売新聞) 2010年3月17日
  16. ^ 円谷プロが増収増益で2014年3月期、債務超過解消 今後は海外市場を視野”. 2023年1月26日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h 円谷英二特撮世界 2001, pp. 155–157, 「円谷英二年代世相表」
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m UPM vol.02 2020, pp. 30–31, 「ウルトラ特別企画vol.02 1960年代の円谷プロダクション」
  19. ^ a b c d e f g h i j k マガジン2020 2020, pp. 3–5, 「特撮映像の砦 その誕生と成長」
  20. ^ a b c d HISTORICA 2022, p. 3, 「誕生!円谷特技プロダクション」
  21. ^ a b c 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』(初版)朝日ソノラマファンタスティックコレクションスペシャル〉、1982年12月31日、11頁。雑誌コード:67897-80。 
  22. ^ a b 電撃ホビーマガジン編集部 編「プロジェクト東宝チャンピオンまつり 祭り囃子は遠くに」『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWAアスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日、123頁。ISBN 978-4-04-866999-3 
  23. ^ 白石雅彦 2006, p. 177.
  24. ^ 白石雅彦 2006, pp. 179–180.
  25. ^ UPM vol.04 2020, p. 30, 「ウルトラ特別企画vol.04 1970年代の円谷プロダクション」
  26. ^ 円谷英明 2013, pp. 73、77.
  27. ^ 円谷英明 2013, pp. 74–75.
  28. ^ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」 1996年1月 pp.56 - 57
  29. ^ 円谷英明 2013, p. 90.
  30. ^ 円谷プロ 中国子会社を解散 中国でアライアンス戦略に切替 アニメ!アニメ!ビズ 2008年11月27日(2021年7月7日確認)
  31. ^ 円谷プロの"聖地"にお別れ MSN Japan 2008年2月6日 Internet Archive Wayback Machineに納められた当時のコンテンツは このリンク 先から閲覧可能。
  32. ^ 円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断”. ねとらぼ (2018年4月24日). 2018年4月25日閲覧。
  33. ^ 米国訴訟(控訴審)の勝訴判決に関するお知らせ』(プレスリリース)円谷プロダクション、2019年12月10日https://www.tsuburaya-prod.co.jp/pressrelease/191210-winning_judgment/2020年3月15日閲覧 
  34. ^ ウルトラマン訴訟アメリカ控訴審判決 再び円谷プロの勝訴”. おたくま経済新聞 (2019年12月10日). 2020年3月16日閲覧。
  35. ^ “円谷プロとTBSが提携 新規コンテンツを秋発表へ”. ITmedia. (2023年3月22日). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2303/22/news107.html 2023年3月23日閲覧。 
  36. ^ a b c d e f ウルトラマン全史 2013, pp. 4–5.
  37. ^ a b HISTORICA 2022, p. 20, 「帰ってきたウルトラマン」
  38. ^ 宇宙船編集部編 編「マックス怪獣造型の秘密 開米プロダクション」『ウルトラマンマックス マックス!マックス!マックス!怪獣大画報』円谷プロダクション監修、朝日ソノラマファンタスティックコレクション〉、2006年10月30日、72頁。ISBN 4-257-03735-0 
  39. ^ 「さらば、空想特撮の夢工場」『宇宙船』Vol.120(2008春 復活号)、ホビージャパン、2008年4月1日、pp.84 - 87、ISBN 978-4-89425-693-4 
  40. ^ a b “「怪獣倉庫」でイカルス、アントラー、ゼットンを見た”. asahi.com (朝日新聞社). (2008年2月7日). https://www.asahi.com/komimi/TKY200802060383.html 2020年11月28日閲覧。 
  41. ^ 『円谷プロ図録 ウルトラマンメカニック編』ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2013年7月18日、pp.160頁。ISBN 978-4-7770-1440-8 
  42. ^ 円谷プロのロゴマーク ツブラヤの「ツ」をすべて繋ぐとロゴマークになります。これは光学合成の中野稔さんによるデザインなのです! 丸山浩公式Twitter
  43. ^ 今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで 2010年4月1日
  44. ^ a b c d e f g h 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー INTERNET watch(インプレス) 2010年4月23日
  45. ^ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル 2011年5月20日
  46. ^ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」 円谷ステーション 2010年8月
  47. ^ 円谷ヒーロー・怪獣&宇宙人ランキング!結果」 円谷ステーション 2011年1月
  48. ^ 円谷プロダクション創立50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙 円谷ステーション 2013年9月”. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月14日閲覧。
  49. ^ ウルトラヒーロー総選挙2013」 円谷ステーション 2013年9月



円谷特技プロダクション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 02:55 UTC 版)

日本現代企画」の記事における「円谷特技プロダクション」の解説

会社設立の背景スタッフ所属していた円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション)でのテレビ映画『マイティジャック』1968年昭和43年4月6日から同年6月29日)の失敗赤字だった。東宝の子会社として設立された円谷特技プロダクションには自社スタジオ設備がなかった。番組制作撮影設備撮影機材のほとんどを親会社東宝からの貸与賄った。この貸与費用負担は、円谷特技プロ重荷となっていた。 この状況打開しようと、円谷特技プロダクション社長円谷一自前撮影ステージ所有しようと画策し土地探した照明技師小林哲也が砧地区物件見つけたが、この土地購入する資金賄えなかった。『マイティジャック』以降怪獣ブーム去った後の円谷特技プロ経営悪化一方で結局自社スタジオ設立構想断念せざるを得なくなった小林東急映画出身『ウルトラQ』照明技師として「円谷特技プロダクション」に招かれ活動していた。1969年3月『怪奇大作戦』終了以降円谷プロダクションとしての番組制作はほぼ途絶えてしまい、多く技術者との契約解除するリストラ断行おこなった。このタイミングで、円谷一らの後押し受けて小林中心としたグループ新し映像技術集団をつくり法人化した。

※この「円谷特技プロダクション」の解説は、「日本現代企画」の解説の一部です。
「円谷特技プロダクション」を含む「日本現代企画」の記事については、「日本現代企画」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「円谷特技プロダクション」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「円谷特技プロダクション」の関連用語

円谷特技プロダクションのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



円谷特技プロダクションのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの円谷プロダクション (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本現代企画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS