兵庫奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 00:34 UTC 版)
元治元年(1864年)に小笠原摂津守広業が任じられたのが最初である。翌慶応元年(1865年)に兵庫港が廃止され、兵庫奉行の池野山城守好謙は堺奉行へ転役。慶応3年(1867年)に、兵庫開港となった際に再び設置された。 老中の支配下で、芙蓉の間席。1,000石高、役料現米600石。慶応3年9月には役金3,000両と定められた。慶応4年(明治元年、1868年)の『武鑑』では、2,000石高、役料1,500石と記され、柴田日向守剛中の名が記載されている。配下に支配組頭が付属。
※この「兵庫奉行」の解説は、「遠国奉行」の解説の一部です。
「兵庫奉行」を含む「遠国奉行」の記事については、「遠国奉行」の概要を参照ください。
「兵庫奉行」の例文・使い方・用例・文例
兵庫奉行と同じ種類の言葉
- 兵庫奉行のページへのリンク